スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Posted by 時雨
 
[スポンサー広告
祖父

ふと考えてみると私は祖父がどんな仕事をしていたのか知らなかった。
祖父と一緒に暮らしていたわりは今までまったく気にも留めず、ただ時間が流れてしまった。
祖父が亡くなって3年と8ヶ月。命日というわけでもないが、少しだけ祖父について思い出してみようと思う。

私の祖父は昔の人にしては背が高く、無口で、物知りで、時に厳しく、時に優しく。
気遣いができて、思いやりがあって、そしてなによりお洒落だった。
さりげなく本当にさりげなく、まるでそれが洋服の一部のように首にスカーフを巻いたりするような。
祖父は紳士という言葉がぴったりと当てはまるような人だった。
ただしお酒を飲んでいなければ。

祖父、祖母、私でよくお出かけをしたものです。
私は3人兄弟の末っ子に生まれ、男2人女1人だったので、やはり初めての女の孫が可愛くて仕方なかったのでしょう。
ずいぶんと面倒を見てもらいました。
お出かけをするといえば決まって祖父と祖母の好きな温泉で、私は温泉に浸かりながら大声で
男湯に入っている祖父を呼ぶのです。
呼ぶと必ず返事を返してくれる祖父。呼んでは、気持ち良い?良かったね。
そんな会話を交わしました。
帰りには大道芸や、チーズ工場、きつね村、ミンク飼育場。
行きたい、と言っては連れて行ってもらいました。
本当に楽しかった。

お酒を飲むと祖父は何をしでかすのか分からなくなる。
普段、無口の祖父は止まることの知らない電車のように喋り続け
家に帰ってみると家具がめちゃくちゃに移動されていたり、庭にある木の幹を剥がしてみたり、
庭から切ってきた枝をお風呂場に飾ってみたり、仲の良い祖父祖母も当たり前のように口喧嘩。
そんなどうしようもないことばかり。
酔った祖父が嫌いでなりませんでした。
幼い私は酔った祖父との付き合い方をそれは自然に身に付けていきました。
といっても幼い私の考えること。
必要最低限は祖父のいる1階には降りていかない。
ご飯を食べたらすぐに2階に避難。
なるべく接点を少なくすること。
こんなことが酔った祖父と付き合う絶対条件となっていました。
避難というのはおかしく聞こえるかもしれませんが、本当に避難をしないとやっていけないぐらいのいきおいを祖父は持っていましたし、安心できる唯一の場所が祖父の上がってこない2階でした。
しかし、寂しがり屋の祖父。
孫全員に避難されればやることはひとつ、どうしようもないこと。
そして、祖母が怒る。
そういう日々が祖父の酔いが冷めるまで続くのです。
もちろん祖父が酔っていなければ家族7人が仲良く、笑顔で、誰もが羨むような平和な生活がありました。


そんな祖父が体調をくずし、入院することになりました。
自宅から3.40分離れた病院で、今までのように毎日、祖父と会うことができなくなりました。
祖父が入院し、最初の頃は自分でトイレに行くことの出来た祖父も、月日が流れるにつれ自分で立つことができなくなっていきました。
入院生活が長く続き、病院の先生にも長くないから覚悟だけはしておくように。そう言われたと父から話され、とても悲しくなったのを覚えています。
祖父の入院している病院が変わることとなり、次は自宅から車で5分と、とても近い病院になりました。
学校の帰りに病院により、大丈夫だよ絶対に治るから。
そんな嘘を吐き続ける私。
ただ、すこしでも元気になってくれればいいと思っていました。
そして近くの病院に引越し、11日が経ったある日、夜自宅へと電話が掛かってきました。
電話を受けたわけでもないのに、祖父のことだ、と直感的に分かってしまった。
案の定、母から零れた言葉は、おじいさんが亡くなったって。その一言。
私は祖父が亡くなってからずっと心残りがある。
今となっては分からないが、祖父が亡くなったとき私は祖父を嫌っていた。
祖父が亡くなったと聞いた瞬間
嫌いだったのになんでこんなに悲しいの?
泣きながらこう呟いてしまった。
ずっとずっと心に引っ掛かっていること。
亡くなったと聞いた瞬間にそう呟いてしまったこと。
本当はそんなこと思ってないよ。
そんなこと思ってないから。
7人の家族のうち、1人が欠けた。
家ががらっと広くなった気がした。
初めは家族が欠けた淋しさと、家が異様に広く感じる戸惑い、そして、静けさ。
そんなのばかりが私に付きまとっていたのだが、3年も経てば慣れとは怖いもので、初めに感じていた淋しい気持ちもなくなってきている。
ただ、やはり祖父の存在は忘れることが出来ない。
時々、こうして祖父についての話題を家族で話している。
特に健在の祖母とは。

祖父は喜んでくれているのだろうか?
幸せなんだろうか?
こんな私たちをいつも見守っていてくれているのだろうか?

今となっては祖父とすごした日々が新しい記憶に消され、忘れていくことがとても悲しい。
でも今日ここに書いたことだけはこれから忘れることがないと思う。
本当に少しの、一握りの思い出だけど。

今日、母の口から祖父のしていた仕事を聞いた。
本当は祖父の口からどんな仕事をしていたのかを聞きたかったんだと思う。
ただ、そう思った。

Posted by 時雨
comment:0   trackback:0
[日記
comment
comment posting














 

trackback URL
http://plshe.blog78.fc2.com/tb.php/29-076cbc09
trackback
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。